「覚えている状態」は非常に大切ですが、だからといって無理に「覚えようとする」必要性はもうないのではないか、というお話です。
現代社会である程度満足できる生活をおくるためには、何かを学ぶ姿勢がどうしたって必要になってきます。
収入アップをはかるため資格取得を目指したり、転職をして新しい職場で頑張ったり、何かを学んで覚えなければならない機会は人生の中で無数にあります。学生にいたっては、そもそも覚えること自体がメインの仕事です。
覚えるという行為は人生において、かなり重要なタスクといえるでしょう。
なぜ今まで覚えることが重要視されてきたのか

中世の時代ではいわゆる「知識」というのは、基本的に教会の図書館に収められている書物にインクで記されている情報のことを指していました。
この知識に触れるためには教会の図書館に出向き、そこに収められている書物を手に取って読むという能動的かつ物理的アクセスが必要です。
しかし当時、書物というのは極めて貴重なものです。誰でもがその書物を手に取れるというわけでは決してなく、手に取れるのはごく一部の人たちに限られていました。
そのごく一部の人たちは「知識にアクセスできる」という立場ゆえに、大きな権力を持つことになるわけですが、日本の場合で考えてみても大体これと同じようなことになっています。
つまり、当時の知識というのは相対的に今の知識より価値が非常に高く、そう簡単に自由に引き出せるものではなかったので頭の中にコピーして覚え込む必要がありました。
現代では義務教育が確立し教科書が配られ、図書館は誰でも利用できる場所となりました。この時点ですでに、覚えるという行為の必要性は昔に比べるとかなり薄まっています。
覚えているという状態は目指すものではなく、自然とできあがっているものであるべき

では話を私たちが今まさに生きている現在に戻します。
過去の人類と私たちが決定的に違う点は、インターネットとスマートフォンの有無です。先ほどの中世の時代でいうところの「ごく一部の人たちしかアクセスできない極めて貴重な知識」が、通信さえできれば24時間365日、どの場所にいても自由に引き出せるようになりました。
そしてインターネットという、いわば「人類の巨大な脳」に蓄積されていく知識の量と種類は、日に日に多くなっています。情報の受け取り方も、文字だけではなく画像・音声・動画と多様化しました。
人間が扱う情報量はこれからどんどん増えていきます。それをいちいち覚えようとしていたのでは、その都度立ち止まることとなり、とても非効率です。
大切なのは情報を覚えようとすることではなく、情報を素早く引き出せるようにすることです。紙のノートに手書きでまとめるより、フォルダ分けができて検索機能があるメモアプリにまとめたほうが情報を素早く引き出せます。
重要な情報はそれだけ引き出す回数が多くなり、その回数分だけ自分の脳は経験することになります。これを繰り返しているといつか自然と覚えます。
何回引き出しても覚えられなかったときには、紙にひたすら書き殴って体で覚えるというのもありだと思いますが、この場合でみてもやはり何回も引き出す作業を経験してからのほうが、その情報を覚えるハードルは低くなっているはずです。